氷川

  どうもお待たせしました。すいません。

本の中で出たソ連と中国の話、飛ばします。

われらが日本共産党のことから入りたいと思います。はいはい、立教、宮本修正主義集団とか、代々木とか、日和見主義とか、いろいろ言われておりますが、どんなとこかと。1922年、先ほど言うた、レーニンの示した条件に従って、日本共産党はできております。日本の中には、もともと社会主義者、共産主義者と言われる人たちがおって、彼らにコミンテルンが働きかけて設立されたということです。大事なのは、これ、イデオロギーというて、僕はイデオロギーっちゅうのが、人間にとって一番大事やなと思っとるんですが、なかなか皆さん、そうは考えてくださらなくて大変悲しいですけれども。日本のイデオロギー、明治のご維新でつくられました。ヨーロッパのまねをして、ヨーロッパの皇帝とか、そういったものをまねして、天皇制というものが、でっち上げられました。天皇制っちゅう言葉も、マルクス主義者の用語なんで、どうかなと思うんですが、他に言い方がないんで、こう言います。その明治維新のイデオロギーで、天皇は神だ、天皇は偉いということで祭り上げられた天皇ですね。それは、当時、力を得て、民衆に支持されておりました、日本の。これがまずい。何でかっちゅうたら、明治時代から大正、そして昭和にかけて、天皇っちゅうもののイデオロギーは、革命のイデオロギー。現代においてもそうだとおっしゃる方が、今、この同時間帯に神武革命ということで勉強会されているそうですが、とても、僕個人は分かるかなと。そういった、人々が従ってる革命理念に対して、まだ有効な革命理念に対して、天皇制を廃止するという口上を掲げる。すごい、何ていうか、民衆を敵にすることを出発点に選んだようなもんですね、僕に言わしたら。これは日本共産党のすごい悲劇かなと思ってます。でも、それはおかしいやろという日本人もおったんですけれど、そんな声が、コミンテルンの指導、コミンテルンさまの言うこと、だから、コミンテルンは正しいんだ、そんなことを考えるやつがおかしいという、まさに共産主義の指導という名の欲望に忠実に従ってしまったわけですね、日本共産党。

典型的な今の日本共産党のベースにあるのは、32年テーゼといわれる1932年製の綱領ですね。
これ、いったん、日本人がね、ほんとはつくってたんですよ、そこそこ現実と擦り合わせて。ところが、そんなもんは当時のソ連の政策にそぐわん。もう、ソ連は絶対偉いねんから、おまえら言うことを聞け、ソ連のための綱領にしろ、というふうにして、いろいろぶっつぶされて、ソ連から押し付けられたのが、「32年テーゼ」です。そういったものを今でも掲げとるわけですね、日本共産党は。一体どこの国の人のための政党なのか。ソ連なき今、ほんとに訳が分かりません。日本の現実と誠実に向き合おうという部分は、当然、日本の現実と向き合うということは、ソ連の綱領と対立することになります。天皇を信じてる、天皇を神様とあがめてる日本人に、なくせ言うて、どないすんねんと。それが、転向という問題に行き着きます。有名なのは佐野学、鍋山貞親、何でしたっけ、ちょっと忘れちゃいましたが、そういった人たち。それから、文学者の中野重治、後の右翼の大物と言われた、田中清玄、そして、財界の超大物、水野成夫ですね。こういった人たちは、現実なんかどうでもええんや。ソ連の言うことが正しいから、それに従っときゃええんやという綱領では、もう世の中、自分らは運動できない。向き合ったら、もう、そんな綱領捨ててしまえというふうになっていきます。それは共産主義を裏切ることに当時はなったわけです。転向問題っちゅうのは、すごく誠実で優秀であればあるほど転向せざるを得なかったと僕は思います。ですが、そうやって転向していくんですね。佐野や鍋山なんて、極端な天皇主義者になっちゃって、それもそれでどうかなと思うんですが、日本人というものを捉えようという運動が転向だったと思います。一方、一方ですね、権力の側は、そんな日本共産党、ソ連の革命をやったやつらの力を得て、金まで出してもらって運動をやってると。そんなもの、すごく怖かったと思います。

赤や、赤という言葉はですね、今でも死語じゃないとは思うんですが、赤、赤がおったら逮捕しろと、働きかけて転向させろと、弱みは権力がよう分かってました。いろいろ働きかけました。それでも転向しない人、殺しました。小林多喜二なんか有名ですよね。でも、あれも段階いろいろあるんですけど、まぁ、いいや。殺されて、命懸けで権力と戦っている。めちゃカッコええやんって、若い人は、歴史を見て、今の人もそうだと思うんですが、カッコええやんと思います。共産党はすごい、そういう形で共産党に希望を持って入って、現実と向き合い、そして、絶望し、転向し、あるいは死んでいく、発狂する、自殺する。若者の未来を食いつぶす組織として共産党はあったんかなと大きな意味で見て、僕は思います。こっからが、ちょっと今の話につながるんですが、そうやって若者で体制に対して、反対意識、あるいは疑問を持ってる若者を食いつぶしていくというのが、いまひとつ、日本共産党の歴史にあるということを、僕は今もそうやと思っとるんですけどね。

それと、もう一つは、コミンテルンも組織の、先ほど言ったレーニンの状況ですね。これは、ナニナスなんかに支配されとるんですが、とても面白い、いや、面白くないんですけどね、ひどい話なんですけど。横のつながりを共産党の組織は認めません。横のつながり、要は、上のほうが管理をするためには、横のつながりあったら、どんなつながりできるか分からん、どんな話し合いをするか分からない。そういったもの、認めません。そういったものをやったら分派という言葉でつぶされます。実際つぶされた人を、私、知ってますし、今日の会場の中におられるかもしれないですね、分派規定されて、つぶされた人。そんなとこです。
何が起きるかっちゅうたら、スパイ入ったら、上のほうを抱き込んだら、もう天国です。スパイのやりたい放題です。戦前、日本共産党は、スパイが入り込んで、党の幹部になって、むちゃくちゃな武装闘争をやらせて、党に、つぶれるということがありました。何でしたっけ、まぁ、いいや。そんなことがあったと。
猜疑心が、そんな組織やったら生まれます。そういった中から、あいつ、スパイちゃうか言うて、党幹部のあった、小畑達夫ですか、に、スパイの暗疑がかかって、これはもう、いろんな状況証拠、それから、証言、そして、いろんな非共産党員の回想録、そういったものを見たら、小畑達夫はスパイじゃないと僕は思ってます。でも、彼は当時の別の中央委員、宮本顕治に全体重をかけられて、特殊な死に方をしたとだけ言っておきましょう。特殊な死に方。死んだけれど、遺体を床に埋めたわけですね。死ぬ前に、病院に連れていけやと思うんですが、人の命より共産主義の党のほうが大事ですから、死ぬに任せたということでしょう。

でも、もっとひどいのは、僕は、〓ユウキキョウ〓殺害事件がある。これはあまり知られてないんですよね。この人は、もう明白にスパイでないと言われてます。〓ユウキキョウ〓という人、これ、興味のある人は調べてください。いっぱい殺しとるけれど、小畑については、スパイだったと今でも共産党は言ってますし、〓ユウキキョウ〓に関しては、もうスパイでないのは明白なんですが、共産党は触れません、はい。そんなことをやってます。いかがわしい党ですわ、ひと言で言うて。当時の、戦前からずっと、戦前になっちゃいました。1人の英雄が、野呂榮太郎、知識人。戦後は、徳球さん、ミヤケン、そして、小畑殺しのミヤケンさんですね、はい。野坂参三、スパイ、100歳にして除名。こういった人たちが代表的かなぁと。現在、不破哲三、志位和夫、小物過ぎて載せる気になりません、はい。

そのあと、日本は戦争に、皆さん、ご存じのように負けました。はい、出獄します。治安維持法違反じゃないんですよね、ミヤケンって。殺人容疑とかで、ああ、治安維持法だけではないと言うべきか。いろんな7つぐらい罪状があったと思います。でも、なぜか、彼も刑期を務める前に出てきています。非常に面白い、どういうことがあったんかなぁと。研究したいんですが、そんな暇ないんで、はい。

ですが、共産党っちゅうのは、その戦前の若者たちの幻想を日本国民全体が持っちゃったようなもんで、戦争に反対した日本共産党。事実なんですけど、彼らが反対したのは、あくまでも、帝国主義戦争に反対したのであって、戦争全般に反対するのは、共産主義者ではないと僕は思っとるんですが、とにもかくにも日本に、国民に人気があったと。人気あったし、あとは、アメリカ軍は解放軍やというふうなことを考えたりして、それはそれで根拠のある話なんですが。平和的に革命できそうだということで、愛される共産党とか、スローガンを掲げて、平和革命を目指して、議会を通じた政権奪取を目指していたと、当時を生きている人は、一応、私も50前なんで、当時を知ってる人とか、僕が若いころは結構いましたんで、そういった人たちから話、聞いてます。ですが、平和革命などは幻想だと、コミンフォルムと言いまして、コミンテルンの後釜みたいなもんや思うてください。そこが平和革命は幻想やと。ていうのは、ソ連は、金日成という、とっても悪い人が朝鮮で戦争を起こそうとしてるのをつかんでいて、そないなったら、日本でも後方撹乱してもらわなあかんやないか。そんな日本で、日本共産党が平和革命なんて言うとったら、とっても都合が悪いと思ったわけですね。コミンフォルムによって、平和革命っちゅうのは、あれ、幻想やというふうに批判したんですよね。この評価をめぐって、寝耳に水ですね。最初、そんなコミンフォルムいうん、うそやと思ったそうですが、どうも、ほんまやっちゅうことに気が付いたら、大騒動が起きていく。いうことで、党の主流派は、これは武装闘争をせえっていう、直截的に言うてるから、武装闘争をしなきゃいけない、コミンフォルムに従ったら。でも、それって、日本共産党、滅びることやということで、徳田球一は、このコミンフォルム批判について、書簡っていうのを発表して、否定するんですよね、そんなん受け入れんと。それに対して、宮本顕治とかは、この人たちは、多分、基本的に現実なんかどうでもええ人たちやったんやろうと僕は思うんですが、非主流派の宮本顕治は受け入れるべきと主張するわけですね。コミンフォルムの言うことは一理あるし、国際共産主義運動の一番いいのを拒否すべきではないと。要は、コミンフォルム、偉い、従えと。僕は個人的には、徳球さんの言うことのほうが、何か筋通っとるし、彼のほうが主流派ですから。後の歴史で、すごい偽造されてますが、この時点では、徳田球一が主流派です。大事なことは、このとき、喧々諤々、千人ぐらい巻き込んで、大会場で、ものすごい論争で、罵声の浴びせ合いとかもあったんですが、議論されたということですね。そのあと、国際派は理論的な武装闘争の準備をするんですが、所感派は、いきなり過激な武装闘争に、ある時点で突入していって、国際派を左からっちゅうか、武装で突破しちゃいます。そんなもん、国民に受け入れられるはずがありませんが、いろいろ、共産党は怖い、赤は怖いというイメージを再生産しちゃいます、はい。ちょっと触れときたいのは、白鳥事件は、今やもう、共産党の犯行であるっちゅうのは明白ですが、ちょっと前まで否定してましたね、はい。日共は武装闘争、結果的には全党派でやっていく、全分派でやってました。4つか5つに分派、分かれとったって僕は聞いてますが、それが全部、武装闘争やってました。ところが、分派の一方が勝手にやったことって今、言うてます。とてもおかしい話です。いや、分派じゃなくて、主流派がやっていたと言いたいんです、日本共産党の終戦、50年代の武装闘争は。暴力装置として日本人がやるのは、何ていうか、失うものがいろいろあるということで、実際には在日朝鮮人、あるいは、被差別大衆の失業者がいっぱい動員されたと、僕は聞いています。武装闘争で、はっちゃけたこともやっとって、権力は当然、取り締まり来ますよね、弾圧しに。所感派の多くは、中国や朝鮮、北朝鮮へですね、亡命していくということが起きたようです。有名な人だったら、伊藤律。80年代に帰ってきましたが、そういった人たち。あるいは、さっき言うた、徳田球一、これは向こう、北京で亡くなってますね。そんな人が数千人おるらしいです。そんなこんなで、国民の人気も支持も失った日本共産党は、壊滅状態にあるんですが、そのあと統合されて、1955年、六全協というのがあります。ですが、兵隊さんの、懲りず、全共党のお話とも絡むんですが、上のほうは手打ちできるんです、人間の組織って。でも、下のほうで命を賭けて戦っててね、仲間が命を落としとった人たちが、いきなりね、武装闘争は間違いでした言うてね、やめになったから、もう恨み合いもなし、もう何もなしって言われても、そんなん、感情的に従えないもんやと思いますよ。ということで、共産党の武装闘争をやめるっちゅうので、反発して、今までの総括、何やったんやっていうふうに思う。これは、何か、あれですね、特攻隊の生き残りの方が、戦後、すごく荒れていたというのを時々聞くんですけども、すごく似てるかなぁと思うんですよね。

それと同時に、1956年、かのスターリンが死ぬ。
それから、ハンガリー事件っちゅうのが起きています。
それで、国際共産主義運動に対する批判や疑問っちゅうのが世界中で噴出していて、ちなみに1930年代、スターリン、ソビエトはおかしいっちゅうのは、西洋の知識人の世界では常識だったんですよ。

ただ日本は、当時、そういったところの情報はなくて、スターリン万歳だったんですが、疑問はあると。
でも、若い感性っていうのは、すごくて、やっぱり、スターリンっておかしいんやないかと思う人たち、おったんですよね。そういった人たちを中心に、日本共産党への疑問が左の中から、左翼の中から出てくるんですよね。そこで、こういった間違った武装闘争を押し付けといて、いまさらなしとは何事やとか、いろいろ思うところがあって、日本共産党から分かれて新たな党を、共産党以外の共産主義者の党が日本でも出始めます。それが、今でいう、新左翼の諸君というわけですね。

出ていった人たちに、裏切り者とか、あるいは、当時、裏切り者の代名詞にされていた、トロツキーの名前を冠して、トロツキストとか言われて、罵倒するわけですね。
日本共産党って面白いのは、論理で批判できなくなると、人格否定と罵倒に走ります。これは今も昔も変わりません。
これが、またね、共産党の敵をつくるんですよね。

そのあとの共産党ですが、先ほど統一後の日本共産党は、議会主義。議会〓●〓と平和革命という、野坂参三路線に回帰します。これはこれでいいと思うんですよ。革命に関する論考は、ちょっと別途、今やっとるんですけれども、平和革命というのは、〓●〓矛盾であるということだけは言っておきたいと思うんですが、これはこれでいいでしょう。国際的にはコミンフォルムの言うことなんか聞いてやっとったらあかん。日本のことは、日本の党が責任持たなあかん。自主独立路線を打ち出します。これは宮本顕治の、僕はすごく偉大な方針やと今でも思います。

でも、すごい問題あります。党のシステムや体質は何も変わってません、昔の。かつてのコミンテルンやコミンフォルムの盲従の根源を、盲従する、従う根源がコミンテルン、コミンフォルムにあった位置に、日本共産党の中央委員会、あるいは、その中の、ここでは最高幹部という書き方してますが、要は、昔やったら、宮本顕治、今やったら、実質、不破哲三に置き換わっただけです。党内民主主義は形だけです。
どういうことかというたら、要は、彼らは民主集中制といって、民主主義的に運営されてると言いますが、要は、支部で、支部ですね、一番下のセクターで議論が自由にできんのは確かです。これは、もう聞いています。せやけれど、上に上げる事件は、事案は、その中の官僚が、全ての意見を上げるんじゃなくて、自分らの都合のええのんだけを選んで上げていく。それが三重ぐらいになってますかね、構造で。
要は、翼賛機関ですわ、そんな民主集中制のあれは議論なんで。しかも、その上のほうとは違う意見というものを持った仲間が、細胞を超えて、細胞というか、支部を超えてつながろうとすると、分派として禁止されます。宮本顕治っていう、1960年代から80年代の中ごろにかけて党を支配していた、宮本顕治という男は、分派の芽は二葉のうちに摘み取れということで、ちょっとでも、そういう動きがあったら、つぶしにかかっていきました。実際、それでつぶされた人たちは、いろいろいます。
まず、ちょっと古いところでは、70年代初頭の新日和見事件、これが、川上徹さんという人が、「査問」という本に書いておられますね。
それから、僕らの世代だと、伊里一君っていうのが、東京大学で宮本体制を批判して、査問されて、除名されてます。
そういった彼らは、ちなみに彼らは、20世紀までは査問というものはないと言ってましたが、さすがに、うそはつき通されなくて、最近は、査問はあります。
ただし、議論を通じて最高の処分は除名であると、欺瞞を言ってます。
ここの会場におられる方にも、査問の経験者おられるみたいですけれども。昔はないと言っていながら、何の釈明もなしに、今になって、あったとか言うてるんだから、もう、笑いますね、はっきりいうて。

ですが、時代は変わっていきます。共産〓メーン〓だから来られないんですが、キンピーさんという方がおられます。キンピーさんという人は、これはもう、エネルギッシュで、やくざも逃げちゃうような怖い人なんですが、彼は党の府委員会でしたっけ、のほうで、何か無理やり党員、民青の幹部になれとかって言われて、そんなもん、筋が通らんし、なんじゃいなーって言うて、批判して。言うたら、切れると、何か無理やり流されそうになって、ビラをまいたと。ところが、ビラをまくのはけしからんとか言うて、何か査問されたりして、それでもしつこくビラをまこうとしたら、それ、なんぼで売ってくれんねんって、何か、府委員会の人が言ったという、大変楽しい話があって、うーん、50円とか何か答えたそうですが、さすが大阪人やなと。そんな人がいます。これのやり取りとかがネットで配信されて、聞いた人もおられると思います。大変愉快。そういったことで、ネット時代にあっては、そんな分派がどうしたとか、横のつながりがどうしたとか、そんなもん無理、はっきりいって無理。無理やのに、その無理を押し付けとるという、日本共産党はピエロというか、ギャグというか、化石というか、そんなもんになってます。近年から、その無理さがちょっとずつ分かっとるんかなというふうなところもあるんですけれども、基本的にはそういうことです。

あとですね、そうそうそう、日共が嫌われる理由なんですが、党外部の運動団体に対しては、党の従属物と支配しようとします。
支配に失敗したら罵倒します。
いろんな運動で、ねぇ、ねぇねぇという経験者がおられるんですけれども、いろんなところでやってます。
有名なのでは、原水爆禁止運動。
ソ連の核は美しいというのは、ちょっと違うんですけど、上田耕一郎大先生という共産党員が、ソ連の核は帝国主義に対抗する核であって、それに反対することは革命運動を不利にするという感じのことを言うとるんですよ。それに対して、愚直に反核運動をやっていた方が激怒します。
運動は混乱に陥ります。
そしたら、共産党は、共産党だけが悪いとは言い切れんのんですけれど、運動が2つに分かれちゃうわけですよね。
でも、それは、ちょっと不具合だろうということで、1980年ごろに統一の機運があるんですが、党旗事件、あれ、全労連の旗やったっけ、何やったっけ、ちょっとうろ覚えなんですが、要は日本共産党関係の旗を会場に持ち込まんといてくれ言うて、いったん、よっしゃって言うたんだけれども、運動側は。党の中央が、何だ、それと言って、党の旗を持ち込めと言って、そういった方針を運動に持ち込もうとします。矢面に立たされた人はかわいそう。でも、運動の原理に、その人はのっとったんですよね。
ほしたら、その党の旗を持ち込ませないという運動方針に従おうとした党員が除名されました。
そういったことがありました。
原水爆、原水禁運動は、今でも分裂しています、いろいろあって。

あるいは、部落解放同盟の問題ですね、有名なんは。人の世に熱あれ、人間に光りあれ。素晴らしい言葉。これに、この宣言に端を発する、水平社宣言に端を発する部落解放運動というものは、日本の民主主義の中で、すごく輝ける光芒を一瞬放ったかなと思いますが、そのあと、戦後ですね。日本共産党と解同はすごく仲良く、〓蜜月時代〓があると。

ところが、1970年代の僕の子ども時代のことは分かるんですが、解同の人たちの運動は、権力との癒着を招きかねない危険があるところに入って、窓口一本化運動とか、いろいろ言われますが、そういったものがあったわけですね。
要は、権力に解放同盟が被差別部落大衆の要求を一本化して投げ付けて、投げ付けていうんではない、言うて、それして、ほんとひどかったです、70年代、被差別部落。街灯がないんですよ、70年代に、まだ。トイレはね、汲み取りの共同。家へ入るでしょう、友だちの。土間敷きですよ、70年代で。そんな状況だったんです。それは何とかせなあかんかったです。全くそのとおり、よう分かります。
でもね、でもね、そこで、窓口一本化で、解放同盟を代表団体として認めたら、利権化しちゃうしっていうのある。

もう一つ、共産党の側から言わせれば、それは毒まんじゅうじゃないかと。
いや、でも、改善せなあかんのに毒まんじゅう、要は、権力との癒着招くよと。それはそれで正しい面あったんですよ、言うことに、指摘に。
せやけど、だからといって、運動をひっちゃかめっちゃかにする資格なんて、僕にはあったとは思えないですね。言い分はあると思います。

そんなこんなで解同と共産党は険悪になって、半ば殺し合いの、血みどろの闘争もやって、あまり言いたないんですけど、つらいね、どっちも。そんなことあって分裂します。

共産党が大変、何ていうか、おぞましいとこなのは、当時、国民運動になりつつあった、石川さん、最初に触れた石川さんの裁判ですね。それから弁護士とかを引き揚げさせます。自分らの党の方針に従って、純粋な運動から人間を引き揚げるっちゅうことをやったんです。そういう党です。これは不信感を招きますよ。あと、ちょっと、労働組合の話もしましょうか。日本中の大企業、日本共産党っちゅうのは、1960年代まで、すごい力ありました。その話は、僕が就職したころの年配の労働者から、自分の職場の労働者から聞いてます。ところが、1964年4月17日ストっていうのがありまして、古い話ですけれどね。これで、すごく面白いっていうか、許し難いんですけれど、ストが、ゼネストが用意されたんですよ、60年代中ごろに。それでですね、盛り上がっとったんですね、総評という、当時の最大のナショナルセンター、労働組合のでっかい組織。盛り上がってたんですが、あれは新左翼が裏におるとか言うて、つぶしにかかったんですよ。社会党が主導してったはずです、実際は。新左翼、関係ないはずなんです。つぶしにいって、現場の労働者が動揺して、ストできんようになったんですよね。間違った方針だったって、後に共産党は自己批判に追い込まれました。その言い方が、もう爆笑。当時、宮本議長初め、党の幹部は中国訪問していました。残った者で、勝手にそんなことを言ってたんだと言って、それで責任逃れしようとしたんですよ。社長がいなくて、常務が勝手に決めたことやから、わが社に関係ありません言うたら、どう思います? そういうことを共産党は平気で言うんです。だから、もう、労働組合でも、それが結構でかかったよねっていう話されました。共産党が職場から消えていった理由になりました。そんなこんなで、運動〓圏〓では、いろんな市民運動、労働運動なんかでは、日本共産党が関わるような運動には参加したないというふうな組織になっていきます。要は、信頼なくすわけです。共産党の諸君がすごく勘違いしてるのは、大衆が共産党のことを知らないから、共産党の支持は伸びないと。いや、逆です。大衆は共産党のことをよく知ってるから、選挙に勝てない、僕はそう思います。少なくとも、うちの一族はそうです。先ほども、ちょっと雑談、言うてたんですが、あんまり言いたないんですけど、この、うちの一族、結構共産党には、ひどい目に遭った人、何人かいます、はい。ここにちょっと言葉、入れましたが、ほにゃほにゃ、これ、とある労働組合ですが、ほにゃほにゃ労働組合が、日本共産党のように、労働組合を党の従属物と考えるような組織の介入を断固排除し、組合民主主義を守ります。要は、労働組合から見たら、日本共産党は、民主主義団体として全く認められていないということです。

日本共産党を褒めるのは、いまや、日本共産党の関係者だけかなぁという感じです。
たまに、党が勝つかなぁということがありますが、客観的に、歴史的に見て、日共、日本共産党は退潮しています。この間、ちょっと持ち直しましたが、どんだけ続くでしょうね。

〓ハタセントウ〓の指示ですが、そろそろ〓PPM〓になるかなぁという感じです。ということで、その、先ほど出たキンピーさんのブログでは、こんな言葉がありました。科学的、実のところは、カルト的。いい言葉ですねぇ。素晴らしいですね。全くそのとおりだと思います。私が強く言いたいのは、日本共産党は、利用したかったら利用したらええけれど、利用されたらあかんでぇということです、はい。では、次、新左翼、ちょっといきます。ここはいいでしょう。先ほど言うた、新左翼ですが、何で、あんなん、これが力を持ち得たのは、日本が豊かになっていって、新左翼の基盤っちゅうのは大学だったんですね、主として。大学が、それまでは、末は博士か大臣かと言われた時代のイメージを引きずったまま、実際は上層労働者の、労働者階級の基地になっていって、別にそんな大学出たから金持ちにもなれん、別に偉くもなれん。そういうのが現実になっていったわけですね。これは、決して悪いことじゃないと僕は思うんですが、なかなかつらい。じゃあ、日本全体、そんなむちゃくちゃ豊かかっちゅうたら、別にそうでもない。まだまだ貧しさも残っていたという時代ですね。結構、若者はそういった意識とか、エリート意識とかを引きずりつつ、でも、将来は労働者階級であると。そこら辺で、いろんな分裂的な自己意識にさいなまれたと思います。僕らみたいに、もう最初から労働者って決まってるような時代の人たちは違います、多分。そういったものが、さまざまな分裂を伴いつつも、運動しては学費値上げとかをきっかけに爆発して、あるいは、インターンシップといって、医者の卵たちの置かれた状況の矛盾とかをきっかけにして、理由は何でもいいんです、そういった不満があった。すごい爆発しちゃうんですよね。新左翼の過激な闘争が爆発すると。大学解体、自己否定とかいう、何かすごいことを言い出すわけですね。人によっては、その新左翼っちゅうのは、ある意味、日本の戦後の矛盾を一身に引き受けて、そういった若者を引き付けた運動であると。これは、逆にいえば、日本の戦後の抑圧されたナショナリズムの爆発の1つの形であったんやないかなぁという人もいて、右翼の人には結構、全共闘にシンパシー持ってる人、おるんやなぁというのは感じるんですけれども。ナショナリズムに結構、依拠していたと、当時を知る人は言うんですよ。それに対して、それは、それはどないやねんという告発が行われます。華青闘の告発。何かと言いますと、ナショナリズムに従って、さまざまな解放運動に関わり、大学解体とか叫んでるけれども、実際、実際は、じゃあ、自分らが日常生活で、あるいは、利用主義的に民族っちゅう、多民族とかを抑圧したり、利用したりしてる関係性はどうやのんっていうのを中国人から行われるわけですね。これ、何かっちゅうたら、入国管理闘争というものがありまして、要は、中国人の出入りとか、そういった存在とかに対して、国家権力がいろんな抑圧を働きかけると。それに対して、日本人は何もしてくれん。なんぼ言うても、何もしてくれん。何もしてくれへんっちゅうのは差別やないかということです。すごく深刻な問いです。それに誠実に答えようとした人たちが新左翼だったんです。新左翼全部ではないです。革マルとかは、ある意味正しくも、それに批判してるんですから、あまり加担したくないですね。一番影響を受けたん、中核派かなと思うんですが、華青闘の告発っちゅうのがあって、要は、おまえら、日本人、言うてるけど、てめぇら、運動の中においてさ、わしら踏みつけにしとるやないかと。おまえら、あれ、入管闘争、主体的にやらんかいと言うたんですが、ここ、すごく難しいと思うんですよね、僕は。ていうのは、日本人は、あくまで、どこまでいっても日本人です。外国人じゃありません。主として外国人に災難が降りかかる問題を日本人が主体的にやるといったら、僕は、どうしても、〓ぺペン〓の欺瞞(ぎまん)のにおい。支援はどんどんすべきです。でも、支援と主体は別やと僕は思います。これは、三里塚でもそうだと思います。これ言うたら、すごい反発、食いそうなんですけどね、僕はそう思います。それで足場が崩されるって書いてますが、いろいろ空中分解することになるんですよね。ここら辺は、〓ササキトシヒサ〓さんの本とかに、詳しく書いてたと思うんですが、経緯は。


あるいは、スガ秀実先生ですね、の本に詳しくあったと思うんですけれども、華青闘の告発でもって、左翼は、新左翼の多くの同派は、足場を崩されて宙ぶらりんになっていったのかなと思います。それを埋め合わせるように、彼らは。
ちょっと連合赤軍のとこは飛ばしますわ。
どないなったかっちゅったら、いろんな市民運動にシフトしていくんです。個別の運動で頑張るようになります。全体的な物語に立とうとしたら、自分たちの足場がないと。そうなると、もう、個別にやらな。市民運動の流れは新左翼系がすごく多いのは、僕は必然やと思いますね。それが良かったか、悪かったかは僕には分かりません。でも、彼ら新左翼ちゅうのは、ものすごく誠実な人たちだなと今でも思うてます。日共よりは、ずうっと僕はマシな連中やと思います。
女不明   (笑)
   氷川 うん。ちょっといろいろ書いてますが、新左翼の人たちは、もうどうせやったら、〓もとは〓、何ていうのん、もう、ただでも小さいねんから、おまえ、そんなん信じられんと。自由に考えて、自由にやったらええんちゃうかなぁと思います。というわけで、これ、大阪球場で工藤公康という投手に投げとったヤジをちょっと変えて書いてますが。「悩み苦しめ工藤じゃない」、「悩み苦しめ新左翼」。悩み苦しんでください。あなた方はバラバラで、立つ場所がない。でも、立つ場所はないけれども、そうであるからこそ、やれること、見えることがいっぱいあるんちゃうかなぁと、僕は新左翼について思います。で、楽しみにされていた。
   〓男不明〓 はい。
   氷川 いいですかね『ネット時代の暴力』。これ、どんなもんか、私の体験を語ります。
  (拍手) 
 
氷川 「お前だけは許さん! うちわだいこめ!!」、ごめん、今でも思うてます。「うちわだいこ」って何もんかいうたら、自称新左翼、中核派の新派で、すごい左なことを言うてて。一時、何かすごく、な、何んかしらんけど、僕は基本的に冷淡な人間なんで、粛々と書きたいことを書いてるだけなんですが、何か懐いてくるというか仲良うなった。でですね、何が起きたかちゅうたら、それが2000年ごろの話ですね。ちょっと話、飛んでるように聞こえて申し訳ない。僕、仲のええ在日の方って、お年寄りもいてたんですよね。その人があるときにボソッとつぶやいたんです、僕が学生時代、1980年代ですね。「日本の左翼ってなぁ、運動の本流にはなららへんし、これからも多分なららへんやろ」と。「日本の思想ちゅうのは、基本的に右翼が本流や」と。「政権についてるやつらは多少なりとも右翼運動をかばっとったで」と言わはったんですよね。そのあと、「左翼はなぁ、多分、朝鮮問題でつまづくで」とおっしゃったんです。そのあと出てきたんが、拉致問題。1988年、日本共産党の橋本議員が出て、ああ、こういうことをおっしゃってるんかなぁ思うて。当時は朝鮮批判なんて左翼業界では、とても言える雰囲気じゃなかったです。僕は橋本議員の話をしたとき、社会党の人間にどやされました。差別を助長するから語るなと、そんな状況です。まぁ、そんなもんかな思うて、あまり朝鮮問題に興味なかったんでね、正直あまり触れなかったですが、時代は下がって2001年、2003年か、小泉さんの訪朝。
   〓男不明〓 2002年です。
  氷川 2002年かな。 
   〓男不明〓 はい、9月です。

氷川 ああ、2002年9月だそうです。それですごい衝撃を受けて、そのじっちゃんの話を思い出して、人権とか大事やとかね、思ってた人間がね、朝鮮問題、完全に無視しとったちゅうのは、どうやったんかな思うて。
当時、朝鮮問題に、朝鮮の進展問題に関わる人たちへのカンパとか、支援とか、あるいは翻訳とか手伝いだしたら、怒ったんが「うちわだいこ」です。彼は、彼にとっては人間とかは朝鮮人のものであり、抑圧対象のものであり、日本人のものじゃないとしか言いようがないです、今から思うたら。そんな考えの人が、左翼は多かったんですよ、正直いうて。そしいて、僕は当時、もう共産主義者として某大学連におったとかいうのを書いてたし、その寮は中核派の巣窟です。彼は中核派の新派親派いうて、ある程度つながりがあったみたいで。
そしたら、僕の個人情報をいろいろかぎつけて、ネットでばら撒いて。まぁ、それぐらいやったら、僕、我慢できます、正直いうて。
家族のことに触れられたら、さすがに我慢できません。
かといって僕も今は、もう運動から、当時もう運動から〓しょうかん〓してるし、別に自前の暴力装置ないです。何度も言います。暴力こそが世の中の本質です。お金も暴力の象徴です。法律ちゅうものの背後に暴力があるから作用するんです。ごめんで済んだら警察いりません。それが唯物論というものです。

そういったわけで、どうしたかちゅうたら、家族の安全まで脅かすようなことを言うたり、抱えたりしたら、こりゃ、もう無防備の人間は警察に駆け込むしかないです。警察に相談しました。
多分、そう来るやろなと思うたんですが、公安が来ました。公安ちゅうのはねぇ、何か戦前のイメージのせいか、暴力的で、何かって思うでしょ。とんでもない。来た人は、すごい知性のあふれる、かなりマルクス主義なんかも、よう勉強してはる、まぁ、そういった人が来ました。でですね、そういう状況になったんです。

で、公安は何をしたかちゅうたら、左翼を相手にしてないんですよ、正直いうて。だから、僕が、付き合いのあった朝鮮の問題をやってる人権団体の情報を取るとか、〓●〓とか、〓●〓とか、そういうことしてる。要は、日本の左翼は相手にされてないんです、今の公安は、まともには。そういった「朝鮮の人権団体なんかに、そんなん聞きまんねんや」言うたら、「いやいやいやー」とか、ごまかしてたんですけどね。多分、少しでも日本における混乱とかを諌めたかったんでしょうね、今から思うたら、いろいろなものがあって。実際、当時、その人権団体の周辺の人間は不審死してる人とかおるんですよ。関西学院大学の先生かな、いろいろあったんです。でも、さすがに公安と接触するちゅうのは、気が重いじゃないですか。そのことを僕が当時、信頼を置いてると思った共産主義者とか、あるいは当時、仲良くなってた共産主義者とか相談して、したんですが、いろいろ親身になって相談してくれて、やってくれたんですが、やっぱり、ええ方法なくて、関係、公安との接触を断つのに大体2年かかったか。

でも、公安って、やっぱり、そういうのは〓何遍も〓経験してるんでしょう。「僕が、ごめん、もうこれから会わんことにします」いうて言うた、「相談しません」いうて、「もうこの件は自分で何とかしますわー」いうて言うたら、もうスパーンと向こうから、もう連絡来なくなりました。うんそんなこと、ありました。

でもね、僕、すごい悪者にされましてね、公安と接触したこと自身がけしからんと。無防備の人間に丸腰で暴力に立ち向かえと言うわけですよ、日本の左翼は。こんなやつらと付き合ってたら、人生どうなるか分かったもんちゃうと、僕は、そのとき思いましたね。その人権団体に言うのも悪いし、でも、人権団体のほうが先に、正直に言うたら、いろんなもんを送ってこなくなりましたね。ちなみに、その人権団体は左翼の支援を受けてて、受けてます。が、まだ信頼できる人たちかなぁと思いますね。まぁ、そんなことがありました。

03359113何とかっていうところにも連絡しました。分かる人には、分かりますね。〓旧態〓ですわ。そこも何か、関係断ちなさいと言うだけで、そのあと、暴力に対して、どうして対峙したらいいか、個人レベルでできる防衛は何かとか、そんな具体的な話、一切ないです。

ああ、これは、左翼って腕に覚えのある、しかも係累のない、要は、身軽で、自分ひとりにしか責任のない人間しか関わっちゃいけない世界だなと強く痛感しました。

それから、僕は、もう運動というのも、あまり出ないようにしてますし、相手にしてませんし、若い人も左翼と関わるのは、決してやめろとは、よう言わんけれど、ようよう考えた上で事態を引き受ける覚悟。
先ほど、『まどマギ』ちゅうのをネタにあげましたけれども、『まどマギ』で言うたら、最後の最後のに、まどかちゃんが全てを引き受ける覚悟をしてしまうというシーンがあるんですが、そのぐらいの覚悟がないと、多分、左翼なんか関わらんほうがいいでしょうね。
要は、ある意味、やくざもんになるちゅうことですわ、左翼に関わるちゅうのは。
そりゃ、共産党なんか、もっとエグイ、あとでも触れるかなと思いますが、そんなもんやと思います。ちょっと思い出すだけでも忌々しい話なんで、このぐらいにして。というわけで。


   (拍手)
  氷川 あっ、ごめん、もうちょっとやります。

マルクス主義っていうのは、もう廃墟です。「真理は我にあり」っていう自然科学観。世の中、全て必然的に決まってるという、そういった唯物論に従って、幹部の戦後やりたい放題、これが共産主義運動です、の実態です。でも、大衆は、そういった胡散臭さを感じますから、支持は一定以上絶対与えません。それは大衆の賢いところです。とはいえ左翼も駄目じゃんっていうだけじゃ問題は片付きません。どのように向き合うべきかというのがあります。というわけで、まず、いろいろあるんですが、1個飛ばしますわ。「持ち出し思想としての共産思想」って書いてあるんですが、要は、自分の始めるところから、人のつながりをつくれ、生かせ、これが、僕は、新たな共産主義の一番小さな原理だと思います。「物象化」という言葉があります。これは何かちゅうたら、市場の中では人間と人間、本来、人間と人間の関係である物のやり取りですね、これが貨幣のやり取り、顔のない貨幣、これは便利なものです、いいものです。いいものですが、そういった関係に置き換わっていって人間が不在になる、そういったものを物象化と一部の人は言います。それを逆手に取ると。例えば、会社、これは、よくドイツのテンニースでしたっけ。ゲゼルシャフト、職能、機能性集団。でも、人間って、そんな機能性だけで耐えれるもんじゃないんですよね。職場にいたら、酒飲むし、喧嘩もするし、仲良うもするし。ある程度仲良うないと喧嘩もできませんしね。そういうふうにしてね、ゲゼルシャフト化やなくて、ゲマエシャフト、共同体に人間は置き換えていくんです、自分のおるところを。それを僕は共産主義のあり様の1つかなと思います。それから「共」の。 
   男不明 間違いです。
   氷川 はい?
   男不明 間違いです。
   女不明 ずいません、〓かなり酔っぱらってるので〓。
   氷川 いや、いいです。いやいや、いいです。
   男不明 間違いです。
   女不明 すいません。
   氷川 まぁ、いろいろあるんでしょうね、うん。
   女不明 はい。〓すいません〓。
   男不明 マルクス・レーニン主義でいえば、間違いです。
  氷川 うん、僕は、マルクス・レーニン主義は間違いだと思ってるからね。
   男不明 〓マルクス・レーニン主義は〓。
  女不明 〓ちょっと待ってって言ってるやろ〓。 
  氷川 まぁ、あとでやりましょう。 
  女不明 はい。
   氷川 そういったもので、いろいろ人間の集まるところちゅうのは、「共」の場になっていくかなと思うんですよね、それはどんなものでもいいです。きっかけは何でもいいと思います。

例えば、『共産主義の集会』と書いてますが、こんなくだらんことでもいいと思ってます。

それから、貨幣の関係といえば、市場というものがあります。

でも、市場ちゅうのは、もともと人間同士がいろんなものを持ち寄り合って交換する場合ですね。本来、「共」の場であったはずです。

ところが、それが巨大化していって、機能化していって、いろんなものが失われていって、阻害されて、「阻害」という言葉もありますね、そういったものになっていくと。で、人間がいなくなると。でも、それを逆回転される何かいろんな方式を考えていかんとあかんのかなあというふうに思ってます。市場というものは、そういったものとして取り返すことは、僕は無理やないんやないんかなあと、いろいろ思いますね。それらが重なりあってマーケットを包み込んでいる、いくと。

「独立リーグ、Jリーグ」って書いてますが、これ、自分が今、関わってる場ですね。独立リーグとかJリーグちゅうのは、はっきり言って貧乏ったれですね。はい。Jリーグなんかは特にそうなんですが、ものすごい数のボランティアが自分で自発的にいろんなことを提案して運動、運営していってます。そこら辺の連中って、連中ちゅうか人々は、まさに、そのいた枠の中で、「共」の場をつくっていってます。それは、もう目の当たりにしています。独立リーグは、ただの観客であっても、ちょっとこれ、〓やってる〓独立リーグですけどね、人数がとても少ないです、スタンド。1,000人おるかな。もう常連さんと選手と監督、みんな結構仲良うやってますね。いろんなつながりもできてます。そういったものです。

あと、ちょっと古い話になりますが、50年前の労働組合、当時は、まだテレビっちゅうものが家になかった。
「余暇」というものは、組合が提供するものだったんです。自分らの親の世代がそうでした。それは大衆団体です。いろいろな考えの人がやっていくと、こういったところも、そういったものとして、包括してあったという歴史ですね。そこに政治的分断を持ち込んでいったのが悲しい歴史かなと思いますね。

だから、要は、そういったことで、いろんな場所、いろんな関係で人のつながりをつくっていくと、居場所をつくると。そういう意味では、この間の選挙の家入さんちゅうのは、家入さん、東京の都知事選に出て8万3,000ぐらいしか取れなかったんですが、なかなかええこと言うてはるなと、こう思いながら見てました。

社会的枠組みもいろいろあるけれども、1つだけ、もう時間がないんで、2つだけ言います。
国家や行政の仕事の本質は、僕は、「社会主義」やと思ってます。
要は、下支えですね、世の中の。これができなにゃ、社会主義論を〓世に問う〓と。
ただし、そうは言っても、今、世界のいろんな動きがあります。それらの社会主義的なものを各国家あるいは行政単位だけで、言葉は、もうおさめられない。となると、国家を超える何かをつくり出さなくてはいけないと僕は思ってます。
それが、かつては、「インターナショナル」と呼ばれたものが、そういったものを目指していたんやなと。これは、第一インター、第二インター、第三インター、そして、第四インターまであるんですが、それら全てに共通するのは、国家を超えていろんなものを、責任を、能力を、負担を分担していくと。これは必要かなと思うんですが、今は、それがほとんど破滅してます。

もう1つ、あっ、ごめんなさいね、〓3つになるのかな〓。
「政党」って、よう言います。でもね、政党って政治だけ、じゃあ、本来、あってはならないと思うんですよね。共産党なんかは特にそうですね。共産党は文化の党でもあるし、文学の党でもあったし。
要は、言い方は悪いけど、徒党、悪党、人が群れてる場所を「党」といっても、本来はそういうもんだと思います。
そういう意味では、1つ参考になるのはパレスティナの「ハマス」かなと思いますね。賛成、反対は別にして、彼らのやり方ちゅうのは生活全般を宗教の、宗教がかっとるんですけれども、包摂すると、そういったことですね。ちょっと憲法9条批判はやめときます。「湧き上がれ、共産思想」ということで、そういうわけで繰り返しになるんですが、今いてる場所が共産思想の実践の場、それはどこというふうには限られないということですね。共産思
想ちゅうのは、あらゆるところに付着するかなと思います。社会の基礎は、もう社会主義でなきゃいけない。社会主義のしっかりした基礎がなければ、多分ね、自由って、自由主義は無理かなぁと思いますね。ちょっと途中飛ばしますが、科学観に関して、ちょっと自分の専門とも関わり〓があります〓。科学ちゅうたら、何か方程式を解くようなイメージないですか。ようは、こうやったらこうなるんだと。いや、それは1つ、ただし、でもね、科学の最先端で起きていること。なんで企業間競争が激しいか。それはね、正解がないからです。正解がない中で、ええと思うものをつくらなあかん。しかも現象を説明するということは、方程式をつくることなんですよ。その現象を説明できなきゃ、次の展開は無理。その方程式をつくるちゅうことです。要はね、芸術的なもんなんです、科学の最先端は。その科学の最先端ちゅうのは、偉い先生だけが言うてるんやないんです。製造現場、そういったところじゃ、世界で、そこでしか起きてない問題ちゅうのがいっぱい起きよおるんです。そういったものとエンジニアあるいは労働者は格闘しとるんです。そういった場所はね、そんな必然の世界じゃないです。科学観を変えなきゃいけない、共産思想は。必然じゃないんです。芸術です、科学は、今は。不確定で予測不可能なんです。それを端的に表したんが量子力学。
  男不明 〓もうええわ〓。 
   氷川 それから、ものの運動、動きですね。
   男不明 〓何を言いよおるんや〓、もうええわ。
 
氷川 世界の見方は変わるちゅうたんが相対性理論。これらを20世紀の前半で生んだけれども、それらの成果を哲学に反映できてないんが、いわゆる科学的社会主義かなあという印象が強くあります。そういったとこですが、じゃあ、党なんていらんのちゃうんかちゅうわけですが、いや、僕は、そうは思いません。世の中が変わるときは力を集中しなきゃいけない。要は、選挙で勝た、選挙でならば選挙に勝たなきゃいけない。運動ならば、例えば、革命ならば暴力に勝利しなきゃいけない。そういったためには、力を集約するためには、絶対、党は、僕は要ると思います。人間ちゅうのは、顔なじみで仲良くできるのは、せいぜい150名やと言われてます。ところが、日本の国家は1億3,000万います。世界は70億人います。これらを時としては、まとめる必要があります。そうなると、何らかの組織や党は必要だと言わざるを得ないですね。『1つの、政治的イメージ』、これは何かちゅうたら、ロシア革命のときの写真やと思うんですが、むちゃくちゃ大衆いますよね。そこに階段、階段やないな、何かな、足場をつくって、演説しています。この声は数百人に聞こえます。これ、ちょっと悪い写真で遠くのほうにしか見えないんですが、こういった人がですね、群れてる。ああ、檀上、上がってるのは何十カ所もできるんですよね、ロシア革命のとき。みんな思い思いのたけを、意見を大衆に、わぁーっとぶつけているわけですよ、それが何十カ所も。これがこれからあるべき集会かなと思ってます。今、集会といえば、数千人、数万人集まったいうて喜んでますが、檀上の、せいぜい10人が、わぁわぁわぁって言って、一方的に聞いて終わりじゃないですか。そんな集会は、もう僕はクソ食らえと思ってます。クソ食らえというのは、実は、もう僕はあまり評価してないんですが、アントニオ・ネグリっていう人がオキュパイ運動とかを激奨してて、同じことが今起きているんですよね。まぁ、何やっちゃ、その場限りになっちゃうから支持できない。うん、ですが、これからの集会は思い思いのたけを、ただの働い、「ただの」ちゅうたらおかしいわけですが、普通の人たちが、がんがん、がんがんぶつけ合うというところになっていくべきだと思います。で、訴えたいこと。従来の共産主義思想ちゅうのは、封建制があって、資本主義があって、革命があって、社会主義、そして、社会主義が成熟したら、共産主義に時間的発展する、これ、ヘーゲルの思想そのまんまです。ヘーゲル現象法の思想そのままですね。でも、僕、何か考えたんが、ちょっと歴史、自分なりに理解したら、こんなもんちゃうんかなって、共産主義って。いうか、共産思想、まぁ、共産主義でもいいんですが。ていうものは、あちこちへ行ったら、たららららーと、ミクロの何か、何ていうか、動力というか、マイクロマシンというか、そういったものとして分散して。まず、行政のあと、あるいは国家でもええし、国家を超えるものでもいいですが、そういったものが社会主義を下支えした上に、市場経済とかは、多分、可能なんだろうなと。ただし、ここに土台があるちゅうのを忘れたら、〓ねうりべ〓でですわ。いつか人間が人間を食う社会になるでしょう、そんなものは。そうじゃない、基礎をちゃーんと認識した上での自由とか、大衆的な、民主主義的統制とで言ってもいいんですが、これ、自由主義的なものがあると。これが全体かな、民主主義は。〓うーわっち〓、失礼。と僕はこういうイメージを持って、これは、この抗争自身は「静的」、静かなものです、スタティックという言い方をしますが、スタティックなもんだと思います。 
   女不明(笑)〓●〓。
   氷川 うん。ただし、この上っ側のピラミッドで、いろいろ世の中が変わっていく、こういう形になるんかなと思うてます。で、「党」、先ほど「力の集約点」と言いましたが、普段、平時ですね。平時は世話役に徹して、彼らにいろんな知識を集約すりゃいいんです。いろんな方法を集約すりゃいいんです。大衆的になったら、そうなっていくと思います。でも、そこは1つの引き出しですね。党は1つの引き出しになる。困ったことがあった人との相談にのって、いろんなアルヒーフというか、文献というか、知識というか、そういったものを引き出す、そういうものになっていったらいいかなと。ただし、力を集中して、世の中を変えるときは、それなりに集中して、統制していかなきゃいけない。そういう民主集中制なら僕は大歓迎です。あと、偉い人とか、いろんな人いますが、「個」というものは時として、とてつもない重責を担うことがあるんかなという、世の中、見たら。これは滋賀県の、下側のですが、下側の絵は滋賀県の坂本町ですね、京阪の終点。そこにある「穴太衆積みの石垣」って書いてますが、一つひとつの大きい石、小さい石が積み上がっていますが、世の中はこんな感じかなと。これ見たら分かる、これ見たらのイメージからできるかどうか、ちょっと分からないのですが、これは、どのように中に力が、「応力」というんですか、「ストレス」というんですけれど。ストレスがかかっているかを解析したら、すごい小さい石がものすごく大事な役割をはたして、それを取ったら石垣が崩れるというようなことも。見てくれの大きい小さいではないと。世の中は、いろんな人が助け合って、積み重なって、世の中が動いてると。自分は小さいものとか、卑下する必要はない。小さくても重責を担っていることもあるんだと。

次の言葉は、もともとのほうの副題『神(「共」)のものは神へ、カエサル(皇帝=国家)のものはカエサルへ』、これはイエスの言葉です。イエスは、ここで何が言いたかったかちゅうたら、なぞかけされて、税金の話やったかな。ちょっとごめんなさい、細かい忘れて言いたいことだけいいます。要は、「「共」」というものは、人間が本来、天から預かったもんかなと僕は思うてます。神様のもんです。人間が人間同士助け合う、そういったものを欲望として持ってること、これは、もう神様からの授かり物です。そういったものは、そういったとこにいりゃいいし、でも、それだけじゃ人間社会ちゅうのは、うまくいかんと。で、貨幣とか、いろんなものをつくりました。仕組みを、組織をつくりました。そういったものは、そういったものとして捉えて機能させればいい。でも、根本にあるのは神様からのもんやと。無神論に近い思想を言いながら、こんなことを最後のようになって言うのはあかなとも思いますが、僕は、そう思ってます。
要は、宗教ちゅうのは共産主義の1つの表われです。

でですね、もうおっちゃんになってきて、いろいろくたびれとるんですけれども。可能性を追い求めるんは、基本は若者。世の中をホンマに帰るっていうときは、絶対、若者だけと言っていいぐらい。ただ、ノーベル賞なんかは、おじいちゃん連中、いっぱいもらっいるけれど、まぁ、平和賞という、ちょっとどうかなと思う賞以外は、大体若いときの、〓じょうせきで〓もらっていますよね。若い人は可能性を追い求めるし、〓楽〓やないかと僕は思います。じゃあ、おっちゃんは何かちゅうたら、ここの最初に、〓あきて〓、平時のときの党です。応援に回ったほうが僕はええと思うし、応援に回るちゅうのは、何かあったら相談して、相談を受けて、引き出しになるということですね。僕は、そう思うてます。だから、若者に支持されない党なんて未来はないと僕は思います。


最後の言葉は、音痴なんで歌いませんが、とある関西独立リーグの応援の歌、「君ならやれるはず、君ならやりと遂げられるはず、相手を圧倒し、勝利を掴み取れ」と書いてますが、今は、もう使われていないんですけれど、こういう精神で頑張っていきたいなというふうに。頑張るちゅうか、頑張る人を応援するという、そんな感じで今は思ってます。

ここからは、ちょっと本で触れてないんですが。書けなかったことですが、人間は、いろいろ人工的なものをつくっていって、それに守られて生きてます。
最初は自然の中の狩猟とか、あるいは採取から、自ら育てた生産性の低いものから農地をつくりました。農地をつくって奴隷制が生まれていったりしましたが、同時に、農地をつくったら、生産性が高いから、そこに物を奪おうという人たち、あるいは獣、いろんなもんがあるわけです。すると、城壁で、農地丸ごと囲うっていうことであり、そういったあとには、今度は収穫物を集める町を、各都市ができます。それは、自然から二段階に隔てられたバーチャルなものです、土地というのは。
次に、工場化が起きます。これは鉱物からいろんなものをつくる。これもバーチャルといえばバーチャル。次には、インターネットとか登場しますね。それから、バーチャルリアルいうて、これ、僕の仕事関係なんですが、現実をコンピューターの世界の中へ置き換えてやると。これ、何がええかちゅうたら、コンピューターって、ポーンとスイッチを押して、プログラム書いて、ポーンとスイッチを押したら、現実を、結構、今は、すごいええ精度で再現してくれるんですよ。こうやれば、実際、物をつくって動かして、ものすごいお金と資源を使ってやらなきゃ、昔は分からなかったことがコンピューターの中で分かるんですよ。これは、僕の今の仕事です。どんどん、どんどん人間はバーチャルに向かって進んでいってます。そういったことを書こうと思ったら、本が尽きちゃったわけですね。はい。ということで、何か、だらだらとしましたが、自分の言っているところから共産主義ちゅうものをつくるということと、それから、左翼なんかは、もう気にせんと、自分で共産主義運動やってください、やれる範囲で。

もう1つ言いたかったのは、もう1つのイメージは、先ほどの党にありましたね。うん。

もう1つは、ドラゴンボールの「元気玉」って、ご存じですかね。自分の出せる力を頑張れる人に送る、僕は、それも1つの共産主義かなと思ってます。

ちょっと最後そんな話で、なかなか伝わったか、伝わらなかったか分からんのですが、終わりたいと思います。

(拍手)
  女不明 申し訳ありません。
 
   佐藤 歌、流しまっか。どうしましょう、質疑応答の時間をそのまま続けてしまうか、それとも、1回休憩を入れたいか。
   氷川 あっ、質疑応答で、僕は、いいですが、皆さん、いいですか。
   佐藤 皆さまは、自由にやっていただける。
   女不明 はい、〓キレて帰りました〓、すみません。
   氷川 いやいやいや、いいです。
  女不明 〓必死になっとるようで〓、すいません。普段は、もっと〓やさしい〓ほうなんで。 
   氷川 ああ、じゃあ、駄目だ。
   佐藤 じゃあ駄目だっていうの、レイシズムじゃないのかっていう。
   男不明 〓●〓。
   先生、マイク使ってください。
  女不明 〓働かんです〓●〓〓。すみません、ゲスト、ゲストのつもりで連れてきたんですけど。 
   氷川 いやあ、いいです、いいです。
  女不明 いやだったら来るなと言ったんですよね。〓それでも来たいって〓。 
   会場一同 (笑)
  氷川 それは、マルクス・レーニン主義を批判してるわけですから、そらあ、怒るでしょう。うん、そりゃ、そう、当然や思う。 
   女不明 ご本人が〓●〓。
  佐藤 ああ、さっきのバーチャルの話っていうのは、書籍版のやつには書かれるんですか。 
   氷川 書いてないんです、書けなかったんです。 
  佐藤 ああ、書かれなかった。じゃあ、それは、まぁ、Ⅱというか。
  氷川 いや、Ⅱは右翼本、書こうかなと思うてるんで。 
   佐藤 あっ、じゃあ、また違う話になっちゃうんですか。
  氷川 はい。
 
   佐藤 ああ、どうしましょう。あっ、どうしょう、マイクとかって、もうないのかな。
   女不明 マイクが絡まってるから。じゃあ、ごめんなさい。
   氷川 お疲れさんです。
   女不明 はい、マイク持ってきまーす。はいはいはいはいはいはい、どうも、どうもー、はいはいー。
  女不明 はじめまして、今日は初参加で、こういうイベントに初参加で、ちょっと慣れない部分もあっ、皆さんに不愉快な思いをさせてしまった部分もあったかなぁと。 
  佐藤 や、想定の範囲内です。 
   女不明 その点は、お詫びさしていただきまして。
  佐藤 いやいや、とんでもないです。ありがたい話です。 
   女不明 今日は、京都から来させていただきました。
   佐藤 遠いところを。
  女不明 いえいえ、ありがとうございます。 
   佐藤 お疲れさまです。
  女不明 こういう機会を与えてくださって本当に感謝しております。で、まぁ、枝葉のことを言うと、ちょっと長くなるんですが、普段的にはキンピーさんというてね、ブサヨさんのブログをほとんど毎日チェックさせていただいてて、すごく共感する部分がありーの、自分でも、こう、投稿しーのという中で、うーん、約1年前に、ちょっと自分が今置かれてる環境にすごく疑問を持って、そこを、こう、リセットするに当たって、そのキンピーさんのブログとかも、いろんなブログを見せていただいて、もちろん、氷川さんの本も読ましていただいて、すごく参考になったんですね。 
   
佐藤 ありとうございます。
 
女不明 ここは〓省く〓べきものなんですけど、うち、私のことを言いますと、すごく、後半の部分で芸術の話が、科学イコール芸術だという話をしていただいて、もう、すっごくうれしかったんですけど。私、京都で、まぁ、いうと、文化人の端くれなんですね。父親は、そう、自分も芸術家にはなれなかったんですけれども、一応、うーん、共産党の端くれで、ちょっと文化を担うことをさしていただいてたんですけれども。だいぶ前、もう、1966年前なので、ほとんど、56年前なんですけど、やっぱり、日本共産党の活動をしてる中で、文化人の地位っていうのは本当に低いんですね。ふっと気が付いたときには、民主青年同盟とか、こんなんに関わりだすっていうのは、中学、高校なんですけれども、そのときからでも、二言めに言われたのが「軟弱文化人」なんです、分かりますか。
   氷川 いや、あの。
   女不明 「あんたの親は軟弱文化人や」と、もうそういうことをずうっと延々言われてきたので。でも、今ね、オリンピックやっていますけど、すごい素敵でしょ? 今のソチオリンピック、パッと映像をビジュアル的に見て、きれいだし、スタイリッシュだし。でも、どーして日本の中で、いろんな文化人が左翼運動に、こう、関わってきたのに、こんだけ排除されなければならないのか、そこの部分も聞きたいんですよね。やっぱり、私らっていうのは、時代の雰囲気とか、町の空気とか、庶民の人いうのが何を考えているかということを吸収して、それで自分の作品に反映していくということをずっとやってきたんですよね。でも、それ自体、間違ってると言われたら、そしたら、芸術家の意味って何なんですか。共産主義って、そんな芸術に影響するんですかって、それを〓伺いたいんです〓。
   氷川 いや、違います。共産主義ちゅういうのは、本来、芸術運動ちゅうものをものすごく重視しています。なぜかちゅうたら人間解放の1つの現れ。芸術ちゅうのは、例えば、われわれ言葉で使ってますよね。言葉っていうものは、いろいろコミュニケーション手段で大事ですが、言葉で伝わりきらないものって、いっぱいあるじゃないですか。だから、人間は絵画を描いたり、文学。言葉、これは、文学っていうのは言葉なんですが、ものすっごい何十万個もの言葉を費やしてた、最後のたった一言のために、僕は文学があると思うんですよね。それから、芸術ですよね。あるいは音楽とか、いろんなものをやっています。これら全て人間の、人間的なことに関することで、『我に関せざることは無し』ということをマルクスは好きだったそうですけど、本来、芸術は、共産主義のものすごく大事な運動、共産主義運動、大事なものです。なんで排除されるかっていうことになると、どのような芸風かなというのと関わりがあると思うんです。例えば、いわさきちひろさんって有名な方がおられますよね。あれ、旦那が上田〓コウイチロウ〓、ちゃうわ、誰やったかな、善明さんかな、まだ、ご存命で、ブログ読んでも何だかなと思う人ですけど、善明さんか、善明さんの。
  女不明 〓●〓? 
  氷川 うん、前妻。ねぇ、あの人の絵ちゅうのは、実は終戦直後、すごく党に批判されてたんです。軟弱、か弱。何かちゅうたらね、ソ連の芸術、ソ連の初期の芸術、見たら分かります。なんでか、マッチョです。 
  佐藤 ああいう、ああいうのでしょ、こういうやつでしょ。 
   氷川 こういうやつですね。はい、マッチョです。マッチョであるがゆえに、あのような多様な、中野重治の言葉を借りたら、『多様な中のもの、うそうそしたもの』、軟弱として〓卑下〓されとったんですよね。もう『指導という名の欲望』の主題になるんですが、政治が第一で、芸術も科学もそれに従属せえていうのが共産主義のDNAだと僕は思うてます。だから、低い位置に置かれてる。ただし、党の理念にとって利用されるとなれば、それこそ天までのし上げます。
  佐藤 ということは、でも、最終的には、アドバイスとしては党との関係を絶てというのが、氷川氏のアドバイスということになっちゃうわけですか。
  会場 (笑) 
  氷川 芸術を突き詰けようと、突き詰めようとすれば、それもありかなと思います。僕は、1つ参考になるのは中野重治の生き方かなぁと思いますね。 
  佐藤 ああ、なるほど。無理矢理、自分の好きな話題につなげてしまうと、今、問題になってるテレビドラマでね、『明日、ママがいない』っていうようなのを僕が喜んで観ていると、その報道関係者とか、こんなものは事実ではないと言って因縁をつけてくるわけですよ。あんな、こんな施設の子はいないとかね。いや、」それは、いるかいないかの問題じゃなくってさ、まさに文学になってたから、そういう人がいると仮定してとか想像して、そういう物語をつくったりするわけですよ。ところがそれに対して事実だとか、ハードだとかっていうのは政治的な都合ですよね。そういうのを持ち込んできて、それを誹謗中傷してね、下に置こうとするのが政治屋であり、僕的に言ってしまえば報道屋でありね、『龍馬伝』の最終回に愚劣な字幕を貼り付けて、しでかすような報道のやつらは、芸術の敵なので、つぶしてしまえばいいと思うのではないかと、まぁ、関係ないですけど、すみません。他に何かご質問ある方がいれば。なければ、ちょっと僕の疑問を勝手に解消したいと思います。 
   氷川 はい。
   佐藤 さっきの、みんなでやる集会の話があったじゃないですか。
 
氷川 はい。

  佐藤 あれって、ぶっちゃけ、インターネットとは違うんですか。 
  氷川 インターネットは、1つの手段として有効ですが、僕、インターネットでいろんなつながりができて、こういう場にも、つながりが出て、よかったんですが。一言で言うて、インターネットってコミュニケーション手段としては、とても効率が悪いと思います。ていうのは、人間の表情が分からない。ニュアンスが伝わらない。それから、会話でやったら1分で終わることがインターネットを使ったら、下手したら何時間もかかる。だから、人が顔を付き合わす集会の場ちゅうのは、すごく僕はいいと思う。ただし、インターネットが、すごくいいのは、遠いところにおるもん同士が連絡取れる、つながり合える、議論できる、そういったところがいい。でも、インターネットでできた一定のつながりは、リアルの世界に持ち込んだら、僕は絶対ええと思います。 
    

佐藤 まだ時間的にもね、リアルタイムじゃなくても、その人の情報を受け取ったりとか。
 
氷川 うん、すごくええとこがあります、有効に使いたいですね。
   
佐藤 それこそ、さっきのコンピューターの話じゃないけど、非常に便利なところは、大変ありますよね。もう1つ、そう、何だっけな。これは、さっきの話と言えば、キンドル版を読んだときからの私の疑問としてあったのは、いわゆる共産主義というか共産思想とかね、喧伝されてる人々の自由な交流とかっていうようなものっていうのは、特に共産主義とか左翼に特異のものじゃなくって、例えば、それこそ封建主義とか家制度とかいったものも一定基盤となって共同体内部の人々に提供してきたような、よいものだったりするわけじゃないですか。
   
氷川 うん、はい、そうです。
  佐藤 それを、何だろう。よいもの、よい交流に対しては共産主義というような名前を付けて、あるいはその基盤となっている抑圧的なというかね、秩序に対しては、その封建主義とか家制度といった悪口を投げつけてしまうのは、非常によいとこ取りなのではないかみたいなね、疑問をちょっと思ったりしてしまっているのかな。 
   氷川 プルドー批判を思い出しますね。
   佐藤 えっ、何?
  氷川 マルクスによるプルドー批判。いや、いや、おっしゃること、すごく分かって心苦いんですけれども。でもね、悪食やと思うんですよ、共産主義ちゅうのは。 
   佐藤 悪食?
   氷川 悪食、何でも食っちゃう。うん、咀嚼して使えるもんは残す。使えんもんは、もう捨てちゃえと。さっきの絵ですね。描いた、あの三角形の絵。共産思想ちゅうのは、あちこちに、へばりつくよと。これも、この赤い点が1人の人間と思うて僕はええと思うんですけれども、その場に行ってこういうことをするという、ええところ取りでも矛盾とかありますよね。いろいろ〓戸〓が出てきます。それは、その主体あるいは主体観、いろんなところで、すり合わせをやってこなしていくと。僕は、共産主義は明るい未来とは、実は思ってないんですよね。1つの要素にすぎないちゅうのもあるんですが、人間が何かの、アニメに、また、なるるんですが、「希望と絶望は同じ数ある」と何か言っとったような気もするんですけれども。そういったところで、新たなものをつくる、新たな問題が出てくる。それを解決するために、また、何かする。でも、また、新たな問題が何か出てくるかな。でも、全体として、別にヘーゲルに加担するわけじゃないですけど、全体として、ええ方向に行っとったらええし。いろんな解釈はあるけれども、人間の寿命っていうのは1つの絶対的な基準かなと思うんですが、人間の寿命は世界史的に延びていってます。特に資本主義化してから、すごく延びてとるんですよね。それは、ええ取捨選択の結果やと僕は思ってます。
   佐藤 うん? 捨選択? それはマーケット的な?
   氷川 うん、マーケットもあるし、生き方の問題でもあるし、システムの問題でもあるし。
   佐藤 うん? 結果的に、その進展、進歩しているというか、〓行っている〓ということですか。
   氷川 うん、まぁ、そうですね、はい。これは。
   佐藤 うーん、まぁ。
 
氷川 明日、すごい強烈なことをおっしゃられるんで。
(拍手)
   佐藤 それに近い話になってしまうかもしんないんですけど、言ってみれりゃ、そういう人々が交換し合ったり、支え合ったりするような余裕というのが、最近、僕がよく聞く話によるとね、言ってみれば、つまり、その原資は石油であって、石油文明ではないかと、寿命が延びたりしてるのはね。だから、つまり、石油がなくなってしまったら、それもおしまいなんじゃないかと。むしろ縮小していく方向に行ってしまうぞというような警告をするような人もいて、僕は結構そういうことに備えなきゃいけないのかなということを考えているんだけど、その辺のエネルギー問題というか。
  氷川 エネルギー問題に関しては、ちょっといろいろ言いにくいところはあるんですが、2015年、来年かな、すごいこと、僕は起きる、まぁ、ちょっと自分のあれに関わることなんで詳しくは言えないんですが。僕は、エネルギー問題に関しては、さほど心配してないです、正直いうて、ひとりのエンジニアとして。石油なくなるっていうのは事実です。40年でなくなるちゅうのは、多分、うそやと思いますが、100年後にはなくなってるかもしれません。でも、石油以外のものが、どんどん、どんどん。資本主義ちゅうのは、さっき言うた共産思想、ある意味いちばん素直に受け取っとっとるんかな思うところは、悪食というか、使えるもんは使えるというのんで、やってます。それに関しては、僕は脱原発も含めて、脱原発してもエネルギー源の不足ちゅうのは、大きな目で見たら僕は起きないと思うてます。 
  佐藤 ああ、それは、何か技術的な理屈が。

   氷川 まさに技術です。石油ちゅうものは太陽光から受けたエネルギーを0.01%の可能性で凝縮したもんと考えてください。0.01パーあるいは0.001%パー。ところが、太陽光パネル23パー、デカいやつは。新技術で2015年うんぬんくんぬんは10パー。ただし、値段は10分の1以下になると思います。そういった社会が来ようとしてます。
  佐藤 それは、それを、それこそ、そういう商品を開発した会社は大変な利益を上げるということになるわけで。じゃあ、その会社の名前をあとでこっそり教えていただくということで。 
   会場 (笑)
   氷川 はい。
   佐藤 放送では教えられませーん、残念でしたー。
   氷川 まぁ、知ってる人は知ってますけどね
  佐藤 えっ? 
   氷川 知ってる人は知ってますけどね。
   佐藤 ああ、そうなの。それは、なおさら教えてもらわないと遅れてしまいますよね。そんな感じですが、この間、これまでの話で何かご意見・ご質問等あれば。ネットからも受け付けたりはできていないのかな。
   氷川 今日は、ないでしょう。
   佐藤 そういうのは特にないのかな。あっ、ないですかー。
   女不明 ネット、ないですか。
   女不明 SNS、観れるけどね。
   女不明 あれは〓●〓。待って。
  佐藤 ないんだったら、でも、また、いろいろ〓●〓はあるよ。 
  女不明 あっ、ノートパソコンで、ちょっと見ないと、ちょっと分からんよ。 
  氷川 ああ、ほな、いったん退去。ちょっとトイレ、行ってきます。 
   会場 (笑)
   佐藤 ああ、じゃあ、私も、ちょっとトイレ行ってきます。
   女不明 じゃあ、ここで、いったん休憩して。あっ、放送、切ります? それとも、〓このまま〓続けておきます? いったん、放送、切りましょうか。
  女不明 いったん切りましょうか。はい、分かりました。 
   氷川 SNSやったら、ちょっと今の〓●〓。
   佐藤 はい、じゃあ、いったん、ここで終了でございます。ありがとうございました。ご苦労様でした。
   女不明 はい。ありがとうございました。はい。
   (拍手)
   (終了)
   (録音終了 81分間)